ブログを早く書く練習

文章を書くのが遅い。

頭の中に思い浮かんだことを「うわ~」と何も考えずに書こうとすると文法までめちゃくちゃになってしまう。ので、文章の体裁を整えるわけですが、これに時間をとられてしまう。iPhoneのメモ帳には「うわ~」と何も考えずに思いついたこと書いてたりするんですが自分でも解読が難しい。

 

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というわけで、今日のブログは30分で書こうと思います。ちなみにここまでで5分経ってます。ひどい。

 

 

今日はとても寒かった。極暖ヒートテックのタイツは洗濯機の中。タイツは神。ゆえに神はいない。

寝起きで自転車を漕いで山を登り、身体を暖め、時間ぎりぎりで課題を提出した。課題って学生らしくていいですね。社会人になるとこれが仕事になるのだろうか。課題には大人からの慈悲があって、仕事には慈悲がない、と学生の身分で思う。学生から社会人になった途端にツイートが減る(あるいは全くなくなる)、社会に飲み込まれた人たちをタイムラインで何人も見てきた。社会人になりたくない。

 

 

ラブライブのライブ、と書くと一瞬なんのことかわからなくなる。ラブライブのライブってそれはもうラブライブじゃないか。

ラブライブのライブのチケットを一枚友達から譲ってもらえることになり、そのための高速バスを予約した。当日に行って、当日に帰ってくる、という弾丸ツアーになってしまった。最近高速バスに乗りまくっている気がする。新幹線に乗りたい。

乗り物移動自体は嫌いではなく、むしろ好きなくらいで、何もしないでボーっとしてても「移動している」っていう感覚が好きなのかもしれない。鈍行列車を乗り継いで京都まで行ったのは楽しかったですね。またやりたい。

 

 

30分で書いたはいいものの内容がなさすぎるのでは。何も考えずに生きすぎているのかもしれない。明日は何か考えながら生きよう。平和についてとか。

 

最近の楽しみは夜にふらっとコンビニに行って夜食を買うことなので、今日もそれをしたいと思う。

麦茶と床

末端冷え性がひどいんですよね。ひどさを増している、気がする。

いくら身体を温めても手がキンキンに冷えてしまうので、家に帰ってからはずっとヤカンで沸かした麦茶を飲んでいました。麦茶は無限に飲める。

少し前まで一日中コーヒーを飲んでいたんですけど、僕はコーヒーを飲むと身体が震える体質らしく、さすがに身体が心配になってきたので麦茶に切り替えた。カフェインは恐ろしい。末端冷え性は治らない。

 

脱いだ服を掛けずに床に置いて、翌朝床から拾って着る、という生活が続いていて、それを改善すべくニトリに行ってパイプハンガーを買ってきました。

家に持って帰ってきて、床に置いてしまった。

 

僕の部屋には、本や漫画が床に積んであって、新しい本や漫画を買ってくると(漫画だったらビニールを破いて)まず山に積む。積む、という行為が好きなのかもしれない。すぐに読もうと思ってるもの、時間が空いたら読もうと思ってるもの、いつか読もうと思ってるもの…といった具合に山が分かれてて、いつか読もうと思ってるものはいつか読みたいんですけどたぶん読まない。日本語がめちゃくちゃだ。でもいつか読みたい。

 

俺は本を読むのが好きなんじゃなくて、本を買うのが好きなんじゃないか…と考えると自分がアホに思えてくるんですが、間違いなく僕は本を買うのが好きです。とても楽しい。これからも山に本は積まれていくと思う。そのうち自炊にも手を出してみたい。

 

漫画を描きたいと思って、お絵かきソフトを開いた。

 

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お絵かきソフトを閉じた。

 

 

明日はパイプハンガーを組み立てようと思う。

ブログと人の文章と脱線

三日ぶりの更新になりました。このブログを始めて以来の快挙です。

とはいっても書く内容は思い浮かばない。

 

 

書きたい内容が頭の中にあっても、漠然としたそれを文字に出来るくらい整理してから文章にアウトプットする、という行為が遅いんですね。たぶん。ある程度考えがまとまってないと文章って書けないので。

だから人の文章を読むのが好きなんですかね。人の考えを見聞きするのはとても面白い。

 

それと比べると漫画は、漠然としたものを漠然とした形のまま伝えられるものだと思う。

特に、所謂サブカルと言われるジャンル(僕はこのカテゴライズの仕方が苦手なんですが)の漫画は、曖昧で、輪郭がはっきりしていない。「言いたいことがわからない」などと言われる。

僕はそういった曖昧な漫画(中身の無い漫画ということではない)が好きで、また漫画のいい所は輪郭のぼやけた所だと思うし、物語や伝えたいことが、文章と絵の視覚的な情報を通して曖昧なままこちら側にやってくる。その曖昧な輪郭が心地よい。漫画はサイコー。

 

小学生か中学生の時、国語の授業で「言葉は発せられた瞬間に一度死に、受け取られた瞬間に生き返る」といった話を見た覚えがある。道徳の授業だったかもしれない。僕は「道徳」の教科書が結構好きで、先生が音読してるページとは別のページの話を一人で黙々と読んでいた。

僕はこの話がずっと好きで、とてもやさしい話だと思う。

 

ブログでも小説でも、書いた時点で文章は死んでいて、それらを受け取った人の中で考えや物語が生き返っている、という考え。だから受け取る側で文章の意味も変わってくるし、それが大切なものか、はたまたどうでもいいものか、ということも受け取る側で全て決まる。

そんなの無責任じゃないか、と思う人もいると思う。というか「言いたいことがわからない」と憤っている人はそう思ってるのかもしれない。

 

「言いたいことがわからない」というのは受け取る側の放棄宣言だと思うし、「言いたいこと」は自分の中で生き返らせて、自分で作り上げるものだと考えていて。そういった発した側と受け取る側の間の作法が、コミュニケーションなんじゃないかな、と。本との対話、とか言われてますけど、本を書いた人との対話、という面も大きのでは、みたいな。これは「何が面白いのかがわからない」にも通じると思う。思うが多すぎるぞこの文章。

 

なんでこんな話になったんですかね。みんながブログを動かしていてうれしいって話ですね。

思考が脱線する癖を治したい。

 

あとはもうアニメの話くらいしかないですね。

涙もろくなってきたのか、最近すぐに泣いてしまう。シンデレラガールズのOPでアイドルたちが笑顔で汗を書いている姿を見て泣いてしまった。アイドルはみんなかわいいし、卯月ちゃんの笑顔は本当に元気をくれる。これからも泣きながら観たいと思う。がんばれ双葉杏

幸腹グラフィティはいいですね、美味しいごはんはいい。

ローリングガールズもいいですね、ラーメンはいい。以下ずっと同じ感じなので割愛します。

 

そういえば最近は比較的早起きの一日三食の生活ができていて、おかげで風邪気味で少し頭が痛い。なぜだ。

体調を整えるために丸亀製麺へ暖かいうどんを食べに行こうと思う。

雑記

周りの人々がブログを更新したり紙ブログを始めたりしている流れの中の「俺もブログを更新しよう…」という思いだけで今この文章を打っています。

とにかく書くことが大事、でもない気もしますが。リハビリのような感覚。

 

先日は成人式でした。

一人で会場に行ったんですが、会場の周りで華やかな人々が放つエネルギーというかオーラに圧倒されてしまった。久しぶりに会ったと思わしき女子たちが大声で再会を喜び合っていて、再会が放つエネルギーは大きい、と思いました。これを発電に活かせたらいいと思う。新時代のクリーンエネルギー、再会発電。

その後で高校時代の友人と合流して軽く話して写真を撮り帰宅しました。最後まで成人式とは何か分からなかった。

 

成人式の後に同窓会があり、久しぶりに中学時代の同級生に会った。

「今何してるの?」と訊かれて、自分は今何をしてるんだろうか、と考えても分からなかったので「いや~結局高卒で働いてるよ~」とヘラヘラ冗談で返した。信じられた。うそうそ、ダラダラ大学生やってるよと笑いながら二言三言話して分かれて、また別の人と同じような会話を繰り返して、気付いたら同窓会が終わっていた。そんな感じだったと思います。会場から一人で帰りながら、明日から一日三食の健康な生活をして健康になろうと思った。

 

健全な精神は健全な肉体に宿る、っていうのは誰が言ったか忘れましたが、身体が健康になれば心も健康になるってのはそりゃそうだよな、ってことで健康な生活を送ろうと考えていて。そのための極暖ヒートテック

それでも今日は二度寝をして、起きてから昼ごはんの時間が近づいていたので慌てて朝ごはんにヨーグルトとフルーツグラノーラを食べて、すぐに昼ごはんを食べた。これを一日三食と呼ぶのだろうか。

 

あと「デイドリームネイション」という漫画を読み返しました。

高校の青春の話なんですが、同窓会を終えて考えていたことと、卒業生のキャラクターの心情描写が重なるところがあって心を大きく揺さぶられてしまった。泣きそうになりながら「前読んだときはこのシーンで泣きそうになってないよな…」と。涙腺が緩くなっているのか、琴線の場所が動いているのか。改めていい漫画だと思った。

 

この文の調子だとまたしばらく放置してしまいそうですが、本来はてなブログはそういうものなので仕方がない。

このブログを書きながら改めて思ったんですが、僕は文章を書くのがとても遅い。

ガーディアンズオブギャラクシーの感想

ガ ー デ ィ ア ン ズ オ ブ ギ ャ ラ ク シ ー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

インターステラーの感想と、握手をしたかった話

前回のはてなブログ更新から三か月が経ちました。このままでは埃が溜まってウェブ廃墟になってしまうので掃除とリハビリがてら昨日観てきた映画の感想を書きます。最近は長い文章を書けなくなってしまった気がする。

 

インターステラーを観てきました。この映画は予備知識をほとんど持たずに観に行ったんですね。監督がクリストファー・ノーランで、宇宙が題材の映画ということくらいしか知らなかったんですが、それだけで十分観たくなった。あと周りの評判がよかった。というわけで一人でレイトショーで観ました。

 

ひとことで言うと、圧倒的。劇場でただただ圧倒された。「映画がすごい時代に突入してしまった…」となった。

 

この映画はきっと観る人によって様々で、本格SFの映画と解釈する人もいれば、親子の絆の話だと思う人もいるだろうし、愛の物語、あるいは映像がすごくて音がうるさいだけの映画だと感じる人もいると思う。劇場は色んな人が同じ場所で観るのがいいところだと思う。親子が会話をするシーンで後ろの席からすすり泣く声が聞こえてきて、ああ、後ろの人は感動しているんだな、と思いながら自分自身も感動していたんですが、僕は涙が一切出なかった。感動に高揚感が勝った、というか、終始ドキドキしていて泣いてる場合ではなかった。ちなみに僕は映画ドラえもんのび太の恐竜でボロボロに号泣しました。のび太は最高。

 

インターステラーのすごいところには映像があって、この映画の舞台の一つに宇宙空間があるんですが、この宇宙空間の映像表現が真摯というか、まあなんというかすごい。語彙がない。聞くところによると物理学者のキップ・ソーンという人が映像を監修しているそうなんですが、僕が先ほど真面目といったところはこの部分で、未知の銀河の天体やブラックホールワームホールなどといった現代の机上の科学でも追いつけるかといったものを誤魔化さずに、一から世界観を作り上げて、それらをきちんと映像で表現しようとしているんですね。これは本当にすごいことだと思う、生半可な労力ではない。

 

インターステラーという映画は本当に真面目だと思う。映像も、ストーリーも。嘘をつかずにきちんと表現したい世界やメッセージを、真面目に映画にしようとしている。世界観を丁寧に説明しようとする過程で入る「重力」「マーフィーの法則」「特異点」「五次元空間」などといったSF的な少し専門的な知識が、観る人によっては退屈に感じたり、僕のようにその世界を構成する真理の扉に触れて知識の海に浸るような感覚を感じたりする、と思う。だけどそれはあくまで表現したいことの過程であって、それらに惜しみない労力を割く制作スタッフの人々の熱意と真面目さに、圧倒された。

 

まあこんな下手くそな文章では伝わらないと思うので、ここからは気持ちだけで文章を書きます。

 

この映画はマジでヤバいです。マジでヤバい。「マジでヤバい……」って放心して劇場出るの一番遅かったですからね。スタッフに「早く出てけよ……」みたいな顔をされた。

少しでも興味があったら本当に劇場で観てほしい。IMAXシアターが近くにあるならばIMAXで観てほしい。これは全身で体感するような最高の映画でした。IMAXで観たかった。

作中に散りばめられたゾクゾクするようなSFワード、アメリカンジョークでふざけてんのに仲間想いで信頼できる最高のクソカッコいい人口知能ロボット、相対性理論によって圧縮された時間が刻々と過ぎる恐怖と、マジですごい映像と音響で表現されたクソヤバい大自然が迫ってくる恐怖、それでも人類の未来のために、大切な人のために、愛のために必死で思考して必死で生きようと、自分の生き方をしようとする人たち、宇宙、大宇宙!!!!!!

 

このままだと「あ~~!!!」って叫び続けてしまうのでやめます。

 

結局インターステラーはどんな話なんだよって言われたら、えーとですね、インターステラーを観た人が感じたものがそれなんじゃないでしょうか。誤魔化してないです。

この作品は宇宙と人間をとりまくものを、クリストファー・ノーランが真面目に表現しようとした、そんな映画だと思いました。180分に全てを、誤魔化しなく詰め込もうとした。映画史に残る傑作だと思う。

 

 

劇場でエンドロールが流れ終わったあと、隣の人と無言で握手したかった。

ネットカフェに泊まろう

先日、東京に行ったときに二日間ネットカフェに泊まりました。

理由は安いからと、あと飲み物が飲み放題だったので。

 

夏の水分補給は大事。コミケ開場前に並んでいるとき僕の斜め後ろで倒れた女の人を見てそう思いました。担架で運ばれていく彼女のカバンについた缶バッジの男キャラを横目で見送りながら、ああ、あなたのことは忘れない、あなたの分まで私は戦おう、とそんなことを思った人がいたかどうか。僕は目の前に広がる人を見て「列の縦幅より横幅が広いものを果たして列と呼んでいいんだろうか」とか日光で麻痺した脳で考えてました。列というよりは壁に近い。

 

コミケに行ってきました。

 コミケは本を描いてる人に直接会えるのでいいと思う。この人がこういう本を描いてるのか、僕の好きな作家さんはこういう人なのか、っていうのはとても楽しい。こんな綺麗な女性がこんなにエロい絵を描くのかよ、と外見に漏れ出ない人間の精神世界の底知れなさを感じる。「一冊ください」と言う。「ありがとうございます!」と渡される本を「ありがとうございます!」と言いながら受け取る。このワンシーンだけでACのCMを一本作れると思いますね。無理だ。

コミケは高校の文化祭』などというようなツイートを見かけて、なるほど確かにと思いました。外の世間から切り離された時間というか世界というか、雰囲気が高校の文化祭にそっくりで、三日目の終わり(コミケは三日間ある)に一本締めをするスタッフなんかは文化祭をやり遂げた高校生に似ていて、文化祭の高校生はコミケのスタッフに似ていて、ああ、俺たちは文化祭が大好きなのだ、と思いました。僕は高校の文化祭で焼きそば係をヤンキーに押し付けられて焼きそばを売りました。知らない後輩に焼き方が上手いと褒められた。

 

ネットカフェに泊まっている間、コミケで買った色々なもの(エッチな本など)は新宿のロッカーに置いておきました。一日目に増えた荷物をロッカーにしまい、二日目にさらに増えた荷物をロッカーにしまい、三日目に全ての荷物を取り出し友達の家に向かう。なんと完璧な計画。

(一日目の)重い荷物+(二日目の)重い荷物+(三日目の)重い荷物=めっちゃ重い荷物

頭の中でこんな式を思い浮かべてたんですけど、実際は

重い荷物+重い荷物+重い荷物=持てない

こうでした。助けを求める人もいない新宿のロッカーの前で「都会は孤独…」と思い知る。

これはコンピューターと人間の思考の違いだと思うんですけど、コンピューターは特定の数値を超えた時に初めて「持てない」と認識を切り替えることができるのであって、明確な数値がないと判断することができない。漠然とした事象に対応できないので、人間のように大きな荷物を見て「なんか持てなさそう…」と切り替えることができない。僕は人間ではなかったのか…早く人間になりたい…。

 

コミケのような創作の場に行くたびに「うおお…俺も何かを創りてえ…」ってなるんですが、創りだす術を持たないので今思いつくままにこうやって文章を書いてみたんですけど、文章に中身が無さすぎる。中身の無い文章を書き続ける人をヘチマブロガーって呼ぶのはどうですか。中身の無いツイートをし続ける人はヘチマツイッタラーって感じで。このままではだめだ、術と中身を見につけるしかない。エッチな本を描く全ての人に幸あれ。

 

あとネットカフェに泊まるときは目隠しはあった方がいいと思いました。