人と物

「一人で生きていけそうだよね」と周りの人によく言われる。

 

そんなわけない。無理だ。むしろ一人では生きていけないと日々思っている。

 

今年に入ってから色々な物を失った。物というのは文字通り"物"で、小型カメラ、一眼レフのレンズ、スキーのストック、お気に入りのスニーカー、財布、釣り竿、リュック、壊れたり、なくしたり。こんな不幸があるかよ、と周りには笑っていたが、内心とても落ち込んだ。と思う。こんなにも落ち込むものか、と自分でも驚いた。

 

部屋の物を整理しようと決めた。お前の部屋は物が多い、と人からよく言われていたが、改めて整理を始めてみると物に溢れている。2年前に友人にあげたゲーム機の箱が押入れから出てきた。

 

物に依存しているのか。

 

一人では生きていけない人間が一人暮らしを始めると物に依存するのは必然か。部屋に価値を飾る。虚飾だ。寂しがり屋なだけかもしれない。

 

人は人に見出されることで自分自身に価値を持つ。絶対的な価値など無い。相対的なものだ。そんなことを考えた。

 

真に自分で自分自身に価値を見出すことが出来る人はいるのだろうか。いるとしたら、それが一人で生きていける人なのかもしれない。無敵だ。もしくは社会性を喪失している。絶対的な価値を持つことのできない人たちが寄り添って作り上げたのが社会なのではないか。

 

物に依存している人は外からどう見えるのか。「一人で生きていけそう」と見えたのだろうか。だとしたら不幸だ。

 

物は価値そのものだ。でもその価値は人が見出して初めて生まれる。物に依存しているということは、他人に依存している。

 

物を捨てている。ゲーム機の箱をゴミ袋に入れる。物から離れようとしているのか。

 

人と物。『人と人』と形が同じかもしれない。ただお互い組み合ったように見える二本の腕は、どちらもこちらから伸ばしたものだ。

 

もしかしたら俺は物にフラれたのかもしれないな、と考えて今この文章を書いています。フラれるというのは、相対的な価値の共有を断られるということです。とてもつらい。何を言ってるのかわからないと思います。俺もよくわかっていない。

 

そんなことを考えながらゴミ捨て場に物を捨てに行ったら桜が咲いていたので、よくわからないことを考えるのはやめた。